2018年02月04日

シャンパーニュの歴史


一時の寒さからは解放されたような(気がする)快晴の名古屋

ポル・ロジェの地下カーヴから19世紀のシャンパーニュが見つかったというニュースがありましたが、見聞きされましたか?

本数は少ないですが、これまでもシャンパーニュ大手メゾンのカーヴや社屋から昔のシャンパーニュが発見される事はちょこちょこありました。

その理由は、管理が適当なのではなくて、隠してあったからです

何故隠すのかというと、略奪されるのを防ぐためです
特にドイツ軍に。

シャンパーニュ地方で発泡ワインの生産が定番となり各メゾンが確立していったのは、ブルボン王朝がまだ革命で倒れる前の1750年前後ですが、革命後ナポレオンが登場すると隣接する諸外国との交戦が増え、政情は不安定な時代が続きました
因みにポル・ロジェの創立は1849年。
(王室という最大の顧客を失ったメゾンは外国への輸出に精を出すんですが、成功したのは一部だけ)

1870年には普仏戦争が起き、フランスはプロイセン軍に敗れてしまいます
ナポレオン三世は捕虜になっちゃうし、賠償金は恐ろしい金額だし、もう踏んだり蹴ったりのフランスです。

そして、
ドイツ軍がパリへ進軍しようとすると、どーしてもシャンパーニュ地方を通らなくちゃいけない
これは2度の大戦でも同じ。

ランスを占領下に置いたドイツ軍は、ヴーヴクリコなど大手メゾンにに兵士を派遣し、シャンパーニュの供出を命令します

当然そうなる事を予測してた各メゾンでは、地下カーヴを掘ってシャンパーニュを入れ、再び壁を作って「なかった事」にしたり、偽の礼拝堂を建ててシャンパーニュを隠したりしました
残りのシャンパーニュを見せて「これしかもうないんです」って嘘つく訳です。

こうした事実はごく一部のセラー労働者とメゾンの支配人しか知らなかったため、時間が経つと忘れられてしまい、今でもひっそり眠ったままになってるお宝がある、と言われています

フランス人はドイツ軍に供出するシャンパーニュに色んな嫌がらせをしています
下級士官や一兵卒に渡るシャンパーニュは適当な混ぜ物がしてあって、とてもシャンパーニュとは言えないようなレベルだったようです

でも、フランス人も馬鹿じゃないので、ビスマルクはじめ、高級官僚や重鎮に届くシャンパーニュはちゃんとした物を用意していと言う周到さもあり。

それでもドイツ兵士には相当数のシャンパーニュが略奪されたようです。
そしてドイツ側も、当然隠してあるシャンパーニュがあるだろうと壁を壊したり探す訳で
、この辺は知恵比べのいたちごっこ💦

何かと理由をつけてセラーに入ろうとする兵士たち、気持ちは分かるような…

後の第一次世界大戦時のポル・ロジェの当主、モーリス氏はエペルネ市長でもあり、大抵の役人が南仏へを疎開していく中エペルネに留まり、私財を使って砲弾と毒ガスがまき散らされた畑で多くの栽培者を助けてシャンパーニュを作ったという功績があります
こんな方 ↓

モーリス ポル・ロジェ.jpg
HPより

1900年には社屋が倒壊するという悲劇もあった。

そんなポル・ロジェのシャンパーニュ発見のニュースは、話題になりますね

ひっそり発見されるのを待っていたシャンパーニュ、さぞ美味しいでしょう
飲んでみたい
沈没船よりもこっちの方がいいなぁ

シャンパーニュって豪華で成功してるイメージが強いですが、
革命(フランス、ロシア)
3度の戦争(特に第一次世界大戦はひどい)
禁酒法
など、ちょっと良くなったと思ったら、大打撃で撃沈、の繰り返し。
苦難に次ぐ苦難の時代を250年あまり経て、今日に至っています

スティルワインに比べると、高々250年程度の歴史しかないシャンパーニュですが、
それでも色んな事があって今に至っています
知ってましたか??

日本ではここ数年で飛躍的にシャンパーニュ輸入の金額が増えています
本数もですが、高額品の輸入が増大している為です。

クリュッグやベルエポックは今や割り当てですからねぇ…
あんな高い物が一体どこで飲まれてるんだろう、と言えば。

ネオンの街でだだくさに流されているシャンパーニュ、これでいいのか、本当に

ま、お酒は飲むためにある

しかし食べ物と同じで自然と作り手に敬意と感謝は必要だと思う










posted by cave MITSUKURA at 14:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする