2019年05月04日

シャンパーニュ300年の歴史を振り返る


10連休もあと3日
日差しが眩しい名古屋です。


入荷はありませんが、ワインの話を久しぶりに

皆様、ワインは何が好きでしょうか?
赤、白、ロゼ、泡、お好みはそれぞれですよね

ワインに詳しくなりたい方はそれなりにいらっしゃると思います。
レストランでワインリストを見てどれがどんなブドウでどんな味わいか、大体想像がつくまでには、
かなーり知識と経験が必要ですが

ワインは正直めんどくさいですよ
決まり事が多すぎるので、それをいちいち覚えなくちゃいけないという。

分からない事は正直に「分からない」「知らない」と言う事は何の恥にもなりません

↑ これができない方が結構多い(特に年齢が高めの男性に💦)
無理してもバレバレで、そっちの方がかえって恥ずかしいのでこれ大事な助言



で、本題です

今日はシャンパーニュの成り立ちを書きます

今や世界第3位のシャンパーニュ輸入国となった日本、正しい消費かどうかは甚だ疑問ですが

今日の歴史は有名な話ですのでご存知の方も多いでしょうけど。
写真なしの字だけです。

シャンパーニュというお酒は美食と美男美女?には欠かせないお酒ですが、ワインの初心者でも楽しめ、ワインを極めた方が最後にたどり着ても十分満足できる、奥が深いお酒です
シャンパーニュに関してはマリーアントワネットやナポレオンの有名な言葉があるように、歴史上の重要人物もシャンパーニュを日々楽しんだわけです

現在、金権の象徴的退廃酒となってしまった側面も否めないシャンパーニュですが、このお酒がそれとして認知されてからまだ300年程しか経っていません
スティルワインの歴史を思うと非常に若いお酒なんです。

シャンパーニュの歴史にはメソポタミアとかローマ帝国とか出て来ません

元々シャンパーニュ地方では普通のワインを作っていましたが、なんせ北にあるので秋の収穫後、樽で発酵させていたワインが冬に寒くなって酵母が活動を止めてしまうことがまま、ありました
酵母は適切な温度の範囲内でないと活動しませんので。

春になって暖かくなると再び酵母が活動を始めますので、飲もうとしたワインは微発泡しているという訳です
酵母は死んでおらず、低温で眠っていただけなのです。

一方で、17世紀前後、当時のシャンパーニュワインはフランス宮廷でブルゴーニュワインとその地位を競っていましたが、ルイ14世(の侍医)がブルゴーニュワインを自分のワインに決めちゃってがっかり落胆
続くルイ15世の寵姫ポンパドール夫人も(ロマネコンティの所有権を得られなかったので)ラフィット贔屓になって、シャンパーニュの影が薄くなっていきます

ただ、シャンパーニュには「パリから近い」という地の利がありましたので、輸送手段が限られていた当時にはとても重要なワイン供給地だったのです
川を下ればすぐ。

話を微発泡にもどして。
本来、ワインが発泡しているというのは「失敗」「邪道」とされおり、歓迎されないものでした
しかし、寒いシャンパーニュ地方では度々発泡ワインが出来てしまうので、いっそ、これを特徴にしたお酒として販売しようという人が現れ始めるのです
これがはっきりしないのですが、17世紀半ばくらい。

大手メゾンの出現よりも前、一体誰なんだろう???

話が逸れますけど、有名なドンペリニヨン太陽王ルイ14世は全く同じ時期を生きています
生年の1638年も没年1715年も同じ。
同級生、近所で今だったら同じクラスかも。
人生は全く異なる二人ですが、ワインには二人とも深く関わっています、面白い

話を戻して、ここで重要なのがガラス瓶の普及です
(そして続くコルク栓)
樽に詰めていては泡は消えちゃうので、ガラスの瓶に密閉することがシャンパーニュ商品化への必須条件であったのです。

独自の道を進み始めたシャンパーニュはもはやブルゴーニュと競う必要もなくなったわけです。
平和になった

発泡ワインが話題になると大手のワイン商も自分の所で生産しようかと、なってきます。
商店が地道に築き上げたた販売網を一気に商社が持っていくようなモンですな

最古のメゾンはルイナール、1729年設立
宮廷にも納品しています。

続くモエ・エ・シャンドンがシャンパーニュの商売を拡大します。
オランダ系の元軍人の家系で、ナポレオンの友人でもあった当主のクロード・モエは皇帝にくっついてヨーロッパ各地でシャンパーニュを広めるのに成功して、これが大当たり。
勝利の美酒の象徴ですな

勝っても負けてもシャンパーニュ、とかなんとか(正確なセリフは違うけど

因みに当時のシャンパーニュはなんと甘口です

昔々は砂糖が一般には出回らず、甘い物がなかった時代なので甘いお酒は薬にもなった貴重品。
トカイの貴腐ワインが宮廷で大人気になって、甘いワインは高級と言う刷り込みもあった。
そして甘口の方が味がコントロールできるので。

辛口の登場は1874年のポメリー・ブリュットの発売を待たねばなりません


そして、当時は何故ワインが発泡するのかも分かっておらず、均一な泡を得るために様々な工夫が試みられたのです
ブドウ以外の果物はもちろん、鶏糞を混ぜたりしたという記述にはドン引き… 秘密の解明は約100年後のパスツールの登場までお預け(1860年頃)

気圧が上がりすぎると瓶が破裂してしまうので大変危険でした、熟成中の地下カーヴで働く人たちは文字通り命がけです
目を失ったり、顔に大きな傷のある作業員は当たり前のようにいたそうです。
みんな、アイスホッケーのキーパーみたいなマスクをしていたんですよ〜

今でもシャンパーニュの地下セラーでは瓶熟中に割れたボトルを見ることができます
ティラージュの量をキチンと計っていても破損はあるようです。
見てる目の前で割れたらそれは危ないでしょうね。
テタンジェでも1%くらいは破損すると言っていました、100本に1本って多くないですか??

1850年前後には現在でも有名な大手メゾンがいくつも創業して、シャンパーニュ一大ブームを作りました

主要メゾンの創業年を見てみましょう

ルイナール 1729年
ティタンジェ 1734年
モエ・エ・シャンドン 1743年
ドラモット 1760年
ルイ・ロデレール 1776年
ボランジェ 1829年
ポメリー 1836年
クリュッグ 1843年
ポル・ロジェ 1849年

*ゴッセ 1584年
(創業はアンリ3世の時代ですが当時は発泡ワインではない、1695年辺りにシャンパーニュ生産の記述がある)

こんな感じです

シャンパーニュは右肩上がり一方に見えますが、やっぱり世の中そんなに甘くない
ここからもまだ上がったり下がったりを繰り返します。

パリ・コミューンと普仏戦争← シャンパーニュは大略奪に会う

ベルエポック← 大儲け、浮かれ騒ぎ

第一次世界大戦とロシア革命← ランス壊滅、畑は塹壕だらけ、ここで主要な欧州の帝国が4つも消失

アメリカ禁酒法← 輸出先がなくなって大打撃のメゾン多数

第二次世界大戦← また占領されちゃう

ブランクマンデー← やっと持ち直した景気がおじゃん

これらの詳細に入るとあと3日はかかるので割愛しますね。

しかし、現在も歴史の1ページを着々と進むシャンパーニュ、数もエピソードもそりゃ物凄く沢山ありますので退屈しません
30年くらい経ってどう変化しているでしょうか?

歴史背景を書くだけでも相当かかります

これを踏まえて、

品種の特徴と各産地
生産に対する法規制
生産者の形態や同業者組合
(CICV等)

など、勉強することはたーくさんありますので、しばらく退屈しませんよ

一緒に頑張りましょ
















posted by cave MITSUKURA at 14:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする