2025年03月29日

コレクションという逸品


今日は気温が低めで肌寒い名古屋です

てんちょ、花粉症が酷くて…と思っておりましたら、どうやら風邪を引いたらしい
原因に思い当たりませんが、引いたもんはしゃーないです、早く治したい。
皆様もご用心ください。


日本の山火事もようやく鎮火されてきたようですが、世界ではミャンマー地震、アメリカ東海岸のこれまた山火事等、自然災害が続いて嫌ですね
アメリカの山火事も極度の乾燥によるものだそうです。

てんちょの実家近くの山林でも何年かに1度くらいで小規模の自然発生的な山火事があって、被害もなく消防の尽力ですぐに鎮火していましたが、
「これで来年は蕨が豊作だ」
などと喜ぶ声があったり、ある程度の山火事は自然のサイクルとして受け入れられていたと思います
オーストラリアでは山火事がないと種子が撒かれない植物があったり。

ただ、今は様子がまるで違いますね
気候変動のせいで食糧事情が変わるって、本当に身近な事になってきたのかも。



もう来週の火曜日は4月1日ですね
新年度かぁ、早いですー


それには無関係ですが、
今日は有名ですが、珍しい(存在の)シャンパーニュを紹介します
暇なんでいっぱい書いちゃお

IMG_4296.jpg

IMG_4295.jpg

ドラモット コレクション2007

下手な写真…
許せ

シャンパーニュです


ドラモットは知ってる方が多いと思います
現在サロンの弟的な存在になっていますが、実はドラモットの方が親会社です。


年産70万本
自社畑はコート・デ・ブランに6ha、全てグランクリュ
(やはりネゴスなので買いブドウ多めですが、厳しい基準があります)
ストックは350万本弱
40%をフランス国内で消費しています

ドラモット1.jpg
公式SNSより


メニル・シュル・オジェの代表的メゾンで、サロンの隣にあります ↓

ドラモット.png

前の道がかなり狭い(残念ながら私行ったことありません)
エペルネから車で30分くらいです


ドラモットは先日紹介しましたランソンと実は元々同じ蔵なのですが、双方共にその点にはHPの歴史でも一切触れていません。
仲悪いの??

ドラモットは1760年創業です
創業者のフランソワ・ドラモットは、ヴァレ・ド・ラ・マルヌの1級キュミエールの畑の所有者で、1748年にアイのワイン商の娘であるマリー・クロード・テレーズと結婚したことでシャンパーニュメゾンへの道が開かれています。

フランソワには3人の子供があり(息子二人と娘一人)、次男のニコラ・ルイマルタ騎士団に入団したことで、のちにランソンはマルタ十字を紋章に使用することになります。
(ランソンの名前の元になるジャン・バティスト・ランソンはニコラ・ルイの死去の9年前の1828年にドラモットに入っています)


ちょっと脱線しますが、マルタ騎士団が元はセント・ヨハネ騎士団と名乗ってロードス島に居城を構えていたことはご存知の方が多いはず。

このセント・ヨハネ騎士団の基礎は、1096年の第1回十字軍の際にエルサレムで設立された病院兼巡礼者宿泊所です。
それが次第に軍事的要素を帯びていくのですが、エルサレム王国の防衛の必要から考えても、当然の変貌だと思います。
エルサレム周辺でのキリスト教徒の最後の領土のアッコンが陥落すると、彼らはロードス島へ移動しここを占拠(ならず者やん)、居城を築いてイスラム教徒の防衛線となります。

そもそもの十字軍ですが、キリスト教徒への呼びかけを始めた教皇ウルバヌス2世シャンパーニュの出身で、その前はランスを経てクリュニュー修道会に身を置いていました。
それもあって、第1回十字軍への参加はシャンパーニュ出身者が多かったんです。

十字軍に参加することが当時は信仰の証であったでしょうし(免罪目的でも)、騎士団に入ることは貴族の子弟にとっては大変な名誉でした。

ニコラ・ルイ・ドラモットが入団した頃は、すでに騎士団はロードス島を追い出されていましたが(1522年スレイマン1世の恩情で撤退できた)、その後も地中海のキリスト教徒の前線として活躍していました。
その後ナポレオンに侵攻されて存続の危機を迎えましたが(それでニコラ・ルイはシャンパーニュに戻った)、この名誉集団は現在も存続しています。

このように何百年にも渡り、シャンパーニュと騎士団には深い関りがあったんです

因みに、教皇ウルバヌス2世は、出身地のワインが大好きだったそうで、シャンパーニュ産のワインを持って行くと上機嫌で謁見を許されたとか
当然、当時のシャンパーニュワインはスティルワインでした。



話をドラモットに戻して。

このドラモットは最初はランスにメゾンを構えて19世紀にはロシア帝国からスペインまで広くシャンパーニュを輸出していましたが、その後は衰退したのか、1927年にノナンクール家(ランソンの一族で1938年にローラン・ペリエの所有者にもなっています)に買収され現在のメニル・シュル・オジェに再興されています。
そしてノナンクール家は1988年にサロンを買収し、同じ経営となって現在に至っています。


うーん、やっぱり、シャンパーニュメゾンの変遷はややこしいですね
ブルゴーニュの婚姻関係もそうですが、あの人があっちに行って、あそことここがくっついて、あれがあれを買収して…



ドラモットのモットーはVive et me Ama
ずっと愛して? (直訳:生きて愛して)なんだかこれまたこっぱずかしいですが
子供ですんません


さて、肝心の今日のシャンパーニュについて書かねば(長くなってすみません)

現在、ドラモットでは通常4つのキュヴェを生産しています。

ドラモット3.jpg
公式SNSより

ブリュットNV
ブリュット・ロゼNV
ブラン・ド・ブランNV
ブラン・ド・ブラン ミレジメ

です。

そして、今日の黒ラベルのコレクション特別なキュヴェです。

ドラモット4.jpeg

特に良いとされたヴィンテージのみを15年以上熟成させた上級品です
1999年、2002年がHPには載っています。
全てシャルドネ100%のブラン・ド・ブラン、もちろんグランクリュ100%です。

ドラモット2.jpg
公式SNSより

2007年は天候が急変した難しいヴィンテージです
嵐が来たり、雨が続いたりと天候が安定せず、誰もが諦めた夏の終わりに太陽が戻ってうまく収まったというドラマチックな年です。
ブドウはメニル・シュル・オジェ、アヴィーズ、クラマン、オジェの4つの村から来ています。

「まだ熟成の余地がある」一方で、既に円熟した複雑さを見せるこの1本。
美食のお供に最適 とのお墨付きがあります。


このシャンパーニュ、店頭での販売は今はありませんが、取り寄せ可能かどうか問い合わせは出来ます。
定価で143000円税込です。

た、高い
いつの間に…

コレクションのアソートがあるんですが、一度買って飲んでみたいと思っていますが、
一体いくらになるんでしょうね…


飲んでみたいですね〜















posted by cave MITSUKURA at 14:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする